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30周年の記念品

既視感とは、歳をとったということか

· 時事

正確には32周年なのだが、大学を卒業して区切りの良い年ということで、母校の校友会から記念品をいただいた。此度のパンデミックで記念イベントが2年延期になり、記念品のみとなったもの。

同い年の人の経験を代筆すると、こんな感じだろうか。

大学入学の年は、チェルノブイリ原発の事故や、アイドルの自殺。

在学中にはベルリンの壁が崩壊して、 年号が平成に。

大学を卒業してからは、大好きだったロックスターがエイズの合併症で死去。バブルが崩壊して、就職した会社が経営不安になり、それでもなんとかなって。

職場の環境も変わり、男女機会均等から、コンプライアンスだとか、ハラスメントだとか、グローバルだとか、多様性だとか、インクルージョンだとか、いまは心理的安全性だとか。

ゆとり世代とは、実学を学んできた世代と気づき、すごいなと感心したり。

50歳を過ぎたくらいから、これで良かったのかとか、このままではダメだと、新しい自分を探し始めてみるものの、バブルの頃に培ったライフスタイルだとか、ブランド志向だとかいまだに捨てきれず、自らの精神的な成熟に疑問を持ちつつ、否定したり肯定したり。

長生きな親を心配し、従来の家制度にまだ縛られている。

そしていま起きていることに、既視感を覚え、振り返り、さらに調べてみると、チェチェン紛争やクリミア併合の記憶だった。 

恐れという感情で、支配しようとして、支配されているのだ。

 

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