『夜と霧』の原題は、『心理学者、強制収容所を体験する』。著者は、ヴィクトール エーミール フランクル。1905年オーストリアのウィーンに生まれ、1997年没。ギムナジウム在学中からフロイトと交流があり、青年期にはアドラーの関係者とも。
「医師による心のケア」、心理療法の研究、自殺防止の問題に取り組んでいた1937年にナチスがオーストリアに侵攻。アメリカ入国ビザを持ったにもかかわらず、医師と一親等の家族は移送されない保証あったため、両親が移送されないように失効。1941年に最初の妻と結婚。ついには1942年に強制収容所に移送される。父を看取り、母と妻は行方知らず。以降3か所の収容所での筆舌に尽くし難い経験し、1945年に解放される。ウィーンに戻る1日前に、母が収容所で殺されたこと、ウィーンに戻った1日後に妻が収容所から解放された数日後に亡くなったことを知る。その後の働きは猛烈。精力的に本の執筆、講演を行った。
私がこの本を知ったのは2012年。当時働いていた研修会社で、新たに「7つの習慣」を実施プログラムに加えようとしていた時に、その教材に有名な一節が引用されていたのを見た時が最初だったと思う。何が書かれているのかを知り、それからしばらくは手に取ることすらしなかった。正直、読むのが怖かった。
2019年8月、初めて読んだ。そして今回3回目。今まで読んだ中でも一番印象深い本なので、勉強会の題材として取り上げてみようと思ってのこと。組織行動や社会心理学などの分野に興味を持つ方々の集まりなので、どういった取り上げ方が良いかと思い、講演録や書簡についても手を伸ばしてみた。
私は心理療法に疎い。この先に、それを詳しく学ぶこともないと思う。したがって、本来彼について書くべきことは書けない。
何がこれらの著作を私に最後まで読む気にさせたのか。それは、3つある。
1つは、収容される前、収容所で、開放後に、彼が観察した「人」そのものについての記述。「人」には自分自身、同じく収容されていた人、収容所の監視者、解放後のウィーンの人々などが含まれる。
次に、彼が日常をどのように取り戻していったかという関心。何が彼に日常を取り戻させたのか。
最後は、私が今関わっている人(自分自身を含めて)何かを伝えることができるか。
6月に予定している集まりには、この3つを話題として提供し、対話をしてみたいと思う。
世界で今起きていること(正確には起き続けていること)から、「集団が犯した何らかの罪に関して、一部の人が侵したものであっても、その構成員は共同で責任を負うのか」、「完全に自分の自由でも責任でもなく行われたことにどこまで責任があるのか」など、問いを立ててみたい。きっと皆さんの身近にもあるはず。